Bleau Interview vol.1 羅漢 & DJ RATSU a.k.a BERABOW

Bleau Interview vol.1 羅漢 & DJ RATSU a.k.a BERABOW

●羅漢

秋田県五城目町出身、ラッパー。五城目町観光物産PR大使。エフエム秋田「やっちまえ!羅漢!Presented by 須藤ボーイズ」メインパーソナリティ。秋田ケーブルテレビ「し〜なチャン」火曜日コメンテーター。

●DJ RATSU a.k.a BERABOW

秋田県能代市出身、ビートメイカー、アレンジャー、プロデューサー、DJ。羅漢氏をはじめ国内のアーティストや企業に楽曲提供を行っている。

 

 

 

そもそも、なぜラッパーに 

 

-ラッパーという肩書自体がすごくレアですよね。どんなきっかけが? 

 

羅漢 ほんとそうですよね笑

自分は高校生の頃から、ラップ・ヒップホップが好きでしたね。その後進学を勧められた大学で、面白さを見出だせなくて。もともと勉強が得意だったわけじゃないんだけど、せっかくだったら入っとけと言われて入ってみたら、大学の中でしたいことが見つからなかった。それで、時間を見つけては秋田県内のクラブに遊びに行ったり、自分がステージに立ったりという経験を重ねていました。

その頃はKING GIDDRAとか般若氏を本当によく聴いてて。楽曲だけじゃなくて、立ち振る舞いとかにすごく影響されました。般若氏が大館市に縁があることを知って、影響を受けた人が身近な土地にルーツを持ってることがすごく嬉しかったというか、勇気を貰いました。

 

 

自分の居場所

 

-羅漢さんは一度都内に拠点を移された後に秋田に戻られた。自分の中にどんな変化がありましたか?

 

 羅漢 2011年に大きな怪我をして。一度は五体満足のまま生活できるかどうかもわからない時間がありました。どうにか復帰したもの、ラッパーとしての自分の可能性を追い求めたいと思って、2012年に東京に移りました。

東京、というよりも規模の大きなシーンに飛び込んで、本当にいろんな経験がありました。やっぱり俺はアーティストであって、普通の仕事をしてるわけじゃないから。売れる人も売れない人も見てきたし、特にヒップホップの文化的なバックグラウンドを背負ってるので、それぞれが葛藤を持ちながら活動してきた。

 

ちょっとヒップホップの話をすると、ラッパーって、ラップ・メッセージを乗せるのが主で、楽曲まで作ることは基本的に無いんです。ビートメイカーとか、ディレクター的な役割を持つ人間が楽曲を作って、それにラッパーが気持ちを乗せる。どうしても表に立つ人間ばっかりに光が当たるんだけど、俺の楽曲制作は基本的に二人三脚で。

それこそ十代の頃からの頼りにしてる仲間にBERABOWっていうビートメイカーが居て、彼はずっと能代市拠点なんです。だから自分が東京で活動してたときも、東京と秋田で電話繋いで打ち合わせしたり、レコーディングのために秋田に来たりしてました。

 

BERABOW 自分は能代市出身で、地元に住んでてどこまでできるかやってみたかった。東京に行けばすべてが速くていろんな可能性があったかもしれないけど、自分が育った土地で制作に集中できるのは、自分にとってすごくプラスだと思ってます。

 

-秋田に戻ってからの活動はどんな印象ですか?

 

羅漢 2018年の夏に、秋田市でワンマンライブをやりました。それまでワンマンライブはやったことがなくて、初めてのワンマンは秋田でやるって決めてたんです。自分がどれだけ知られてるんだろう、どれだけの人にライブに来てもらえるだろうって、力試しみたいな感覚でワンマンライブを決めたんだけど、チケットを売るのに本当に苦心して。でもお陰様で200人以上の方が来てくれました。

でもライブ前はほんと落ち込んで、つられて体調まで悪くなったりして。そもそもヒップホップだったりラップのカルチャーが全然浸透してない土地で、秋田出身とはいえこっちでぜんぜんメディア露出も無かったので、なんでこんなことしてるんだろうとか、自問自答ばっかりでした。秋田駅前でフライヤー配ったりもしましたね。

 

でもそこから、魁新報さんのCMだったり、テレビ・ラジオに出させて頂く機会があったりで、少しずつ自分のことを認識してくれる人が増えてきました。2017年にブラウブリッツ秋田の公式応援ソングとして制作した楽曲 ”We Are AKITA!!” も、俺達の背中を本当に押してくれました。

 

正直なところ、秋田という規模の小さいフィールドで活動してみて、いろいろ感じることはあります。

なにをしてても、良くも悪くも目立ちますね。それってアーティストとしてはチャンスでもあるけど、未成熟の状態でいろんな意見に晒される側面もある。お互いの顔が見える距離だから、どうしても社会性を求められるし、自分がアーティストとして取りたい姿勢を押し通し辛い場面も多かった。

 

まあでも、戻りたくて戻ったんで。ヒップホップはやっぱり地元とか仲間を大事にするカルチャーだから、自分の家族との時間はもちろんだし、BERABOWみたいな仲間との距離が近いってのは自分が望んでたものだと思います。

 

 

We Are Akita!!

 

-ブラウブリッツ秋田の公式応援ソング ”We Are Akita!!”は、どんなきっかけでできた楽曲ですか? 

 

羅漢 最初オファーを頂いたときは、まさかヒップホップやってる俺らに声が掛かるなんて思ってなくて、でもせっかく楽曲制作を任せてもらえるなら、シンプルにどこよりもカッコいい曲を作ろうと思いました。

公式の応援ソングって、試合前にスタジアムに集まる選手やサポーター、運営スタッフ含めて全員が聞くじゃないですか。絶対いい音にしたいと思って、どうやって作ろうかすごい迷って。高校生と一緒に歌詞に乗せたいメッセージを集めて、BERABOWにトラックを作ってもらって、本当にすべてがオリジナルな楽曲制作でした。

 

曲が完成して、スタジアムで ”We Are Akita!!”が大音量で流れた時、サポーターの熱気が伝わってきて。その景色は一生忘れないですね。

 

BERABOW その頃からブラウブリッツはめちゃくちゃ尖ってて。だから俺らにオファーをしてくれたのかなと思ってます。今振り返ってもあの曲はめちゃくちゃ手が込んでました。すごい拘ってましたね。スマホのスピーカーじゃ絶対聞こえないけど、スタジアムの音響設備で流したときに初めて気付いてもらえるような音づくりだったり。

 

ビートメーカーってどうしても”後ろの人”くらいに思われちゃうことが多いんですけど、自分の腕の見せ所はどちらかっていうと、制作した楽曲がどれだけリスナーの心の奥に入り込めるかだと思ってます。だから突き詰めるのはやっぱり自己満ですね、気付いてくれる人が絶対にいると思って。

 

 

秋田で、夢を追うこと

 

-2021年発売アルバムのポスターを秋田県内の本当に色んな場所で見かけたのですが、あれはどうして?

 

羅漢 秋田で活動を続ける中で、ショッピングモールやイベントでライブの機会を頂くことはあったんですが、より多くの人に知ってもらう機会が必要だと痛感して。洒落たバーだったりアパレル店だったり、俺らみたいなアーティストがポスターを貼ってありそうな場所だけじゃ足りないと思ったんです。

ラジオでレギュラー番組を持たせてもらった頃から、逆に自分があまり意識してない層の方にも声が届くようになって、自分の声を聞いてほしいし、みんなの声を聴かせてほしいと思うようになって。

あとは単純に、ポスター配りで県内巡ってたら、”どこ行っても羅漢のポスターあるじゃん!”的な面白さがだんだんと見えてきて。しんどいけどたくさん貼らせてもらったってよりかは、自分のポスターが秋田県内中に貼られてる状態を想像したら面白くなっちゃって。



-率直に、辛いことはありますか?

 

羅漢 葛藤は続いてます。できることは頑張ってるけど、正直秋田でラッパーがバカ売れするとは思ってない。タレントになりたいわけじゃないし、なれるとも思ってない。自分らしく、ラッパーを続けたいです。自分がしたいと思ってることは精一杯やります。その中でもう少しでも多くの人に聞いてもらえたらいいなと思ってます。

 

不幸自慢も、自分を卑下するのも、そろそろ終わりにしたらいいのにって。秋田の人ってやっぱり手前味噌が苦手で、頑張ってることとかすぐ恥ずかしがっちゃう。

本当はみんなそれぞれ頑張ってることがあるし、お互いが誇りを持って、応援し合える雰囲気に変えていけたらいいなと思ってます。